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Posted by おてもやん at

2011年07月28日

節電対策 江戸時代の生活スタイルを見習おう

07月28日号:節電対策 江戸時代の生活スタイルを見習おう
- 知っているようで知らない酒の話 その154 -


◆ 節電対策 江戸時代の生活スタイルを見習う

 3・11の東日本大震災発生により、原発が津波により破壊され、全国各地の電力会社は節電への協力を呼び掛けています。電気は私たちの生活に無くてはならないものであります。が、このような事態が起こるまで電気について深く考えることが無かったもの事実ではないでしょうか。節電を考える中で、私は生活スタイル事態を見直す時期に来ているのではないかと思うのです。



◆ サマータイム おてんとうさまの動きで生活しよう

 夏場に1時間程度、時間を早めるサマータイム制度を採用している国もあります。それは理に適っていると思います。

 今の日本で、太陽の動きで生活スタイルを決めている職業があります。農業です。夏場のこの時期ですと、九州では5時15分ぐらいに日の出を迎えますので、4時~4時半に起床して、5時~7時に作業を行い、朝ご飯をたべて、午前中もうひと頑張り。午前11時前には午前中の仕事を終えます。すでに気温は30℃、陽射しが強く、炎天下の元ではとても仕事をすることができなくなります。

 早目に昼食をとり、午後4時ぐらいまで昼寝をしながらゆっくり過ごします。
各方角の窓を全開にして、家の中に風を入れ、軒下には風鈴を下げ、団扇を仰ぎ涼をとります。

 昼寝から起きたら、井戸水で冷やしておいたスイカを切って食べます。午後5時を過ぎたぐらいから再び田んぼや畑を見回りに行きます。日没が午後7時半ですので、一時は仕事に励むことができます。日のあるうちにお風呂に入り、庭先にバンコ椅子を出して、星を見ながら涼を楽しむ。

 まさに、江戸時代の庶民の生活スタイルなのです。私は毎朝、4時に起き、朝食の7時までの3時間、お店で新聞を作成したり、注文を受けた伝票を起こしたり、お店の掃除をしたりしています。ゆったりと仕事ができます。夏のこの時期ですと、5時には外は明るくなるので、今の生活スタイルを2時間早めてみることをお奨めします。早く起きる分、午後9時には自然と眠くなります。午後10時には深い眠りについています。おてんとうさまの動きに合わせて生活をするスタイルであれば、節電に繋がります。

 江戸時代の旅人は、七つ(午前4時)に起き、明け六つ(午前6時)の鐘とともに歩き始め、八つ半(午後3時)には次の宿に着き、風呂に入り、日没とともに寝たそうです。おてんとうさまの動きで生活する。理想ですが、それに近付くスタイルを模索するよい機会ではないかと思います。
  


Posted by たわらや at 07:13Comments(0)

2011年07月27日

裏 雅山流 『粋華』 本醸造生詰め (先ずは一献№245)

07月27日号:裏 雅山流 『粋華』 本醸造生詰め
- 日本酒を楽しもう 先ずは一献 その245 -




~九郎左衛門 雅山流~
 「山は動かぬもの 川は流れるもの」。万物に対して固執した考えに捉われることなく懸命にかつ奔放に酒づくりに取り組むとう思いが「雅山流」にはあります。

蔵元の新藤雅信氏(10代目)は後継者でありながら、自らが杜氏を務める。 “本物の地酒 人の求める酒” を目標に自社田で原材料(出羽燦燦)から一貫して生産してみようという発想から生まれたのがこの「九郎左衛門 雅山流シリーズ」です。



◆ 雅山流・新藤酒造店の酒蔵

 雅山流を醸す新藤酒造は山形県米沢市に位置します。福島駅から山形~大曲~秋田へ抜ける奥羽本線が分岐する。いまは山形新幹線になっているのだが、福島を出発するとすぐに奥羽山地が立ちはだかる。板谷峠は鉄道路線の中でも難所。現在は新幹線「つばさ」号はなんなく峠を疾走するが、蒸気機関車の全盛時代はたいへんな難所であったという。駅も本線からスイッチバック方式で入線して、給水する設備があり、機関車に団をとらせ、また次の駅までといった具合であった。板谷峠を下ったところが米沢盆地。周りをすっぽり2000m級の山々に囲まれているため、冬になると東北地方でも有数の豪雪地帯なのだ。

 米沢は仙台青葉城を築く伊達政宗(梵天丸)が幼少のころ育った街。
戦国時代を華々しく飾った上杉謙信をご存知だろうか。北陸、越後、佐渡を治め200万石を越す所領を有した大大名。上杉氏は関が原の戦いの引き金を引いたとされ、戦後30万石で米沢藩へ左遷なるのである。200万石を有した家臣がおり、藩政は窮地に。上杉鷹山は「為せば成る為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」の言葉が有名であるが、米沢の地で藩政改革に取り組み、窮地に追い込まれていた米沢藩を、倹約と産業振興、農業振興で立て直した鷹山の気風が米沢人の礎ではなかろうか。

 そんな米沢に新藤酒造店は創業・明治3年。羽陽富久鶴という銘柄で主に地元に支持される小さな造り酒屋です。



◆ 裏雅山流 粋華 

~キーワードは安くて凄旨~

裏・雅山流とは雅山流取扱店の中でも限られた店のみで流通する超限定バージョンです。その裏・雅山流シリーズに「裏・雅山流 粋華」が夏場の限定酒として入荷します。
このお酒は山形県で約15年位前まで主力として使用された在来山形酵母をベースに開発された酵母を使用し、原料米を贅沢に兵庫山田錦を使用。人気商品「裏・雅山流 香華」を基本に古き良き時代の華々しい上立香を再現した究極の本醸造です。

原料米: 兵庫産 山田錦
精米歩合: 65%
日本酒度: +3.0
酸  度: 1.2
アミノ酸度: 1.0
度数: 15.2%
酵  母:在来山形酵母
麹  菌:ハイG
価  格: 1800ml 2205円(税込)



  


Posted by たわらや at 23:59Comments(0)

2011年07月26日

薬膳梅酒の世界 №16 八海山の焼酎で仕込んだ梅酒

薬膳梅酒の世界 №16
八海醸造 「八海山の焼酎で仕込んだ梅酒」




◆ 新潟の銘酒・八海山

八海醸造の創業は大正11年。酒蔵のある南魚沼郡は、日本一美味しい「コシヒカリ」の産地としても知られている豪雪地帯です。仕込の時期には深い雪で町が覆われます。しんしんと空から舞い落ちる雪は、大気中のほこりを取り去って清浄な空気をもたらしてくれるばかりでなく、雑菌の繁殖を抑え込み、酒蔵を包み込むように降り積もった雪は、蔵を天然の冷蔵庫にし、酒造りにとって恵まれた環境を提供してくれます。
東京から新潟へ向かう上越新幹線が越後湯沢の駅を過ぎてまもなく、車窓に広がる魚沼盆地の向こうに、越後三山(八海山、中ノ岳、越後駒ケ岳の総称)の雄大な山並みが見えます。その中でも、八海山は古くから霊峰として知られ、山岳信仰の対象になってきました。「八海山」の酒名は、この山から命名されています。

地酒ブームの火付け役となった銘酒「八海山」は、地酒好きならずとも一度は耳にしたことがある新潟を代表する有名銘柄の一つです。新潟の酒特有の柔らかい含みと淡麗さの中に、酒本来の旨みと膨らみがあり、かつ抜群のキレを兼ね備えた、綺麗で品格のある新潟吟醸の典型■~八海山の焼酎で仕込んだ梅酒~
上々のもろみ取り本格焼酎に梅を漬け込みました。

八海山の本格※焼酎 黄麹三段仕込 「宜有千萬(よろしくせんまんあるべし)」
日本酒八海山の醸造技術を取り入れ、清酒酵母と黄麹を使用した「三段仕込」で決め細やかなモロミ管理をおこないました。発酵途中で清酒粕を加えることでほのかな吟醸酒を思わせる香りのあるもろみから減圧蒸留した焼酎。落ち着いた品格の有る香りが特徴です。貯蔵年数2年以上。この焼酎に、梅の実を漬けこみ、さらに熟成させたのが~八海山の焼酎で仕込んだ梅酒~です。

 これまでに八海山では、八海山純米吟醸原酒に梅の実を漬けこんだ「八海山の清酒で仕込んだ梅酒」がありました。今回発売したのは、八海山の焼酎で仕込んだ梅酒です。
清酒ベースは、丸みがあり、甘みを感じます。お酒の弱い方にお奨めの梅酒です。スィート&ソフトタイプです。
一方、焼酎ベースは、甘みが少なくキリッとシャープでドライな後口。食中酒としてもOK、ドライ&シャープタイプです。
 名門蔵が仕込んだ梅酒~、どうぞ楽しんでくださいね。
ともいえるスタイルです。

香り ★★★★★
甘み ★★★
味わい ★★
色 ★★
容 器 透明フロスト瓶
原料 自社製焼酎、
糖類、梅の実
度数  14%
熟成 数ヶ月
価格 1800ml
(税込)2835円

720ml
(税込)1488円
  


Posted by たわらや at 08:07Comments(0)

2011年07月25日

コラム・呑んどっと №28 中国の高速鉄道事故について考える

コラム・呑んどっと №28
中国の高速鉄道事故について考える


(先ずは亡くなられた方にお悔やみ申し上げます)
◆ 中国の新幹線で事故が…
 中国には申し訳ないが、この事故の報に触れて、「やっぱり~」と正直思いました。日本の新幹線の開業は
、1964(昭和39)年10月です。東京オリンピックの開業に併せて開業いたしました。今年で47歳となります。まだ、1度も死者を出す事故は起こっていません。これは誇るべきものでありましょう。
 新幹線の構想は、実は戦前に立案されたものでした。東京と下関を短時間で結ぶというもので、当時の新幹線の名称は「弾丸列車」でありました。何となく時代を感じさせるような名前であります。日本国内の線路のゲージは狭軌・ナロゲージでありまして、大陸のゲージよりも幅が狭いため、蒸気機関車時代は95㎞/時間以上の速度を出すことができないとされていました。日露戦争で、南満州鉄道の権利を獲た日本は、ヨーロッパやアメリカにはない、当時の最新の技術を投入しました。そのシンボルが、満州鉄道(満鉄)の特急あじあ号でした。満鉄は新幹線のゲージと同じく標準軌です。最高時速100㎞/時間以上、全室冷房完備というこれまでにないサービスを実現して、欧米の方々を驚かせました。
 戦後、新幹線が開業してからも、欧米から新幹線は過去の乗り物と罵られることもありました。「ジェット機の時代に、鉄道は勝ち目がない」
など…。新幹線というものは、在来鉄道の技術の粋を集めたものです。地震大国日本、平野が少ない日本、急峻な山岳地帯が多い日本、都市部は騒音問題にうるさい日本、そんな日本の風土の中で進化してきた鉄道の粋を結集させ、高速で運用するシステムを作り上げてきたものが新幹線です。なんとなく、新幹線は、酒づくりでいう「吟醸酒」的存在なのです。
 中国のように、各国の新幹線のよいところをつまみ食いをしても、うまくシステムが構築されないものと同じです。例えば、山田錦がいいから酒米を山田錦を使い、熊本酵母がいいから熊本酵母を使うという具合に…。それぞれの蔵にはそれぞれの蔵の環境が違います。
 今回の中国新幹線の鉄道事故、最も初歩的なことで事故が起こっています。衝突事故がなぜ起こるか、簡単です。一つの(決められた)区間内の2つ以上の列車を入れたからです。このことは鉄チャンなら誰でも知っていることです。一閉塞区間内には一つ以上の列車を入れられないシステム(決まり)を作り上げることが高速鉄道に限らず必要です。でないと、安全は担保されません。
 東京でいうと、小田急線の特急ロマンスカーの運転台下に乗ったとしましょう。前を走る普通列車がいれば、普通列車の直前の信号は「赤」になっています。その一つ前の区間の信号は「黄色が二つの警戒信号」になっており25㎞/時間まで減速しなければなりません。
またその一つ前の区間の信号は「黄色が一つの注意信号」になっており45㎞/時間まで減速しなければなりません。
またその一つ前の区間の信号は「黄色と青色が灯る減速信号」になっており65㎞/時間まで減速しなければなりません。
その一つ前の区間の信号はようやく「青信号」で制限なしとなります。
 つまり、前を走る列車に近づく連れて、減速度が大きくなり、直近の区間の手前で赤信号となり止まるのです。前の各駅停車が、駅の退避線に入った時に、信号は制限信号から青信号に変わり、隣の退避線で停車している列車を、一気に抜き去るのです。
 その基本的な原則が守れていないシステムを組んだ中国の鉄道は未熟なものであります。仮に落雷で制御ができなくなったと言い訳していますが、その時は、全ての列車を止めなければならないのです。安全が確保されるから高速で走れるのです。でなければ、高速で走る棺桶と化した乗り物になってしまうのです。
 中国人が中国の環境風土にあった制御システムを構築しない限り、再びこのような事故は起きると私は思います。
  


Posted by たわらや at 12:00Comments(1)

2011年07月22日

コラム・呑んどっと №24 雑誌ぴあの休刊と時刻表と 

 07月22日号:コラム・呑んどっと №27
- 雑誌ぴあの休刊と時刻表と -




◆ え~っ嘘~ 休刊!

 私が大学生として東京に独り暮らしを始めた1988(昭和63)年。東京という街は憧れの大都会でもあり、それは巨大な迷路のように思えたものでした。さまざまな場所で、さまざまな会場で、いろんなイベントやコンサート、映画が行われている。自由に東京という大都会を闊歩できる道しるべ、羅針盤的存在だったのが雑誌「ぴあ」だったように思います。その雑誌「ぴあ」がついに休刊というニュースに触れました。

 調べてみると1972(昭和47)年の創刊なんですね。私が1969年生まれなので、私たち世代とともに大きくなり、活躍した情報誌であったのでしょう。

 しかし、インターネットの普及により、紙媒体の雑誌は苦境に立たされます。時代といえば時代なのでしょうが…。残念です。「ぴあ」に限らず、時刻表も発行部数が低迷しています。現在では、パソコンや携帯電話で、簡単に行き先や料金を計算してくれるようになりました。時刻表には詳しく掲載していない首都圏の電車のダイヤや地下鉄のダイヤまで網羅されているので便利なのは確かです。

 紙媒体の雑誌にしても、時刻表にしても、自分が調べてたいものだけではなくて、横道にそれるような別の興味をそそるような情報が目に入ってきます。本当は、映画の情報を見ていたのに、クラッシックのコンサートの情報が目に入ってしまう。本当は、東京へ出張するために新幹線の時刻を調べていたのに、いつの間にか北海道の時刻を見てしまっていたとか…、そんな経験はありませんか?。

 紙媒体は、自分が知りたい情報以外にも、興味のある活字が、ズバッと目に飛び込んでくるところにスリルがあります。ところが、インターネットという道具は、調べたい情報とその関連情報だけが飛び込んできます。便利なのですが、寄り道のないような、余白がないような、そんな面白さが全くありません。

 雑誌の休刊の情報に触れて、一つの時代が終わったのだなぁ~、また一つ昭和の文化が終わったのだなぁ~と残念に思いました。

 世代は違えど、絶対的な美味しいと感じる味覚は共有したいものです。日本食も日本酒もそうです。世代を越えて、日本酒のよさが伝えていきたいとも思いました。

  


Posted by たわらや at 07:33Comments(0)

2011年07月21日

小話 土用の丑の日 3回シリーズ 最終回

 07月21日号:小話 土用の丑の日 3回シリーズ 最終回
- 土用の丑の日が今年は2回ある -




■四

 皐月(旧暦の5月)の次の日。源内知りあいの定斎売りは、源内に頼まれた通りに、裏店の長屋界隈、日本橋の商人の界隈を、隈なく歩きまわり、夏バテ防止の定斎薬を売り歩きながら、

「土用の丑の日に、「う」の付く食べ物を食べると夏バテしねぇよ。うちの定斎薬と鰻が俺の夏バテしない秘訣だ」と囁いて廻り始めました。

 定斎売は、薬の入った細長い定斎箱を2つ、天秤棒に引っ掛けて、裏店の長屋まで隈なく売り歩く仕事です。体の丈夫な者でないとこの商いはやれない。元気な若者から、薬を買いたいというのが江戸の方々の思いでありました。だから、定斎売の連中は、普段から体を鍛えることに精を出していました。



源内のアイデアは、口込みで広まりました。特に裏店の長屋住まいの方には瞬く間に広まったと言いていいでしょう。奥方は、晴れた日の午前中、裏店共用の井戸端に集い、洗濯をしながら、井戸端会議が始まるのです。

「ね、ね、聴いた?。うちらの長屋に薬を売りに来る辰五郎さんの夏バテしないお呪い、知っている?」

「それ、何~。教えて~」

「辰五郎さんの夏バテしないおまじないはね~、辰五郎さんの薬と、鰻なんだって」
「へ~」

「なんでも、夏の土用の丑の日にはね~。「う」の文字で始まる食べ物を食べると夏バテしないらしいよ」

「へ~、そうなんだ。」

「辰五郎さんは、土用の丑の日に、湯島天神参道の長介さんの鰻屋で鰻丼を食べるんだとか、言っていたわ~」

「へ~、そうなんだ。」

女同士の世間話は、足が速い。しかも、貧乏長屋の亭主には、夏場も夏バテしないように働いてもらわないと生活するのが苦しくなるからだ。土用の丑の日、一年で一日だけでも贅沢な鰻丼をとうちゃんにご馳走をして、夏バテしないで精を出してくれれば、安いものとみんなそのような算盤を弾いたのでした。

■五

 さて、この年の土用の丑の日は旧暦6月21日。五つ(午前8時)の鐘が鳴る前には、長介の鰻屋の前に長蛇の列が出来ていました。このことを知らない人も、何故ならんでいるかの訳を聴いて、それなら俺もという方も増え始めました。長介は、普段の6倍の300杯の鰻丼を拵えましたが、八つ(午後2時)の鐘が鳴る前には、御飯も鰻も完売となったのです。口コミを上手に利用した平賀源内の仕掛けは成功し、土用の丑の日の鰻は、250年経った今では、日本人みんなが知っていることになりました。
  


Posted by たわらや at 13:59Comments(0)

2011年07月20日

小話 土用の丑の日 3回シリーズ その2

07月20日号:小話 土用の丑の日 3回シリーズ その2
- 土用の丑の日が今年は2回ある -




■二

 鰻屋の長介にも悩みがありました。湯島天神の付近から不忍池にかけて、小高い丘になっています。この付近には、加賀藩前田中納言のお屋敷、水戸徳川殿のお屋敷、また、その側近の家老の武家屋敷がありました。旨さの評判は、武家の方々にも口コミで知れ渡り、わざわざ鰻を食べに来る者も多く繁盛していたのですが。毎年、五月雨(梅雨)が上がる水無月の頃になると、客足が遠のくのでありました。一日に五十膳の鰻丼用の鰻を仕込みのでありますが、暑くなるにつれて、売行きは鰻昇りではなく、売行きが悪くなるのであります。見込みで仕込んでいても、さばいた鰻が余る日があるのです。暖簾のためにも、昨日の余った鰻を次の日に使うことはできません。また、暑い夏場には、暑くなる四つ(午前10時)から八つ半(午後3時)まで、参道を歩く方も極端に少なくなります。今年も売上が落ちはじめる五月雨の頃、平賀源内先生が店にやってきたのでありました。



■三

「いらっしゃいませ」
と長介はお辞儀をしましたが、いつもになく浮かない顔をしていました。それを察してか、源内は「浮かない顔をしてどうした」と訊ねました。
他に客の居ない昼下がりでありましたので、長介は源内が鰻丼を食べ終わると、ことの次第を語ったのでありました。腕組みをしていた源内が、瞼を閉じて思案を始めました。しばらくして、何かひらめきがあったのでしょう、明るい表情で、瞼を開きました。
「いいか、長介。うなぎは「う」で始まる。そこで、夏の暑さの厳しい夏土用(立秋前の18日間)の「う」の付く丑の日に、「う」の付く食べ物を食べると夏バテしないと風潮してみろ。「う」の付く鰻は売れるぜ~。」
それに付け加え、源内はこうも言いました。
「風潮するにも、仕掛けが必要だ。そこでだ。拙者の知っている定斎売りの連中に、鰻丼をご馳走しろ。夏バテ防止の秘訣は、定斎薬と鰻って江戸八百余町に風潮して廻ってもらうんだ。真夏の炎天下でも、元気に動き回る定斎売が風潮すれば、効果は絶大だ」

 数日後、源内の知りあいの定斎売り数名が、鰻の長介の店(たな)に集まり、自慢の鰻丼が馳走されました。定斎売の連中を前に、源内は言いました
「いいか、土用の丑の日に、「う」の付く食べ物を食べると夏バテしねぇ、と風潮してくれ。うちの定斎薬と鰻が俺の夏バテしない秘訣だと囁いてくれ。それだけでいい。」(続)
  


Posted by たわらや at 06:57Comments(0)

2011年07月19日

小話 土用の丑の日 3回シリーズ その1

07月19日号:小話 土用の丑の日 3回シリーズ その1
- 土用の丑の日が今年は2回ある -




◆ 土用の丑の日

古来中国から伝わった陰陽五行説では、すべての事象を木・火・土・金・水の5つに分類して世界を考えます。五行説では春は「木気」夏は「火気」秋は「金気」冬は「水気」と割り当てていました。しかし、これでは五行説の重要な構成要素の「土気」がどこにも分類されないことになります。そこで、季節の変わり目である立春・立夏・立秋・立冬の前18日間を「土気」に分類して、この期間を「土用」と呼ぶようになったようです。

 今年は7月20日に夏土用入りとなります。7月21日が「土用の丑の日」です。そして8月2日も「土用の丑の日」ということで、2回土用の丑の日があるのです。8月2日は二の丑といいます。「二の丑がある年は、夏は猛暑になる」というジンクスがあります。さて、今年はどうでしょうか。



◆ うなぎ

 1768(明和5年6月江戸湯島。時の将軍は11代徳川家斉(いえなり)。この家斉は、江戸時代の15人の将軍の中で、最も在位期間が長い将軍です。15歳の若さで将軍となり、なんと50年もの間、将軍の座にありました。彼の補佐役は、悪徳商人とつるみ金権政治ドンとされた田沼意次。

いいも、悪いも、長期政権であったために、文化・文政年間には、江戸庶民が作り出した繁栄期、昭和のバブルのような時代がありました。文化文政の文化、いわゆる化政文化時代です。天下太平の江戸時代の見世、庶民は少し封建的な時代に飽き飽きしていた頃でした。
 そんな頃、四国は高松藩で育ったのが、日本のレオナル・ド・ダビンチを称される平賀源内。この男も封建的な社会の枠に収まることができず、脱藩して、後に江戸の住んだのでありました。

 ここ数年、夏の暑さは尋常なものではない。1764年の江戸の大火が発生。火事と喧嘩は江戸の花と申しますが、余りにも大きな火事で元号が変わりました。それから数年が経ち、復興をして、庶民の懐もそれなり回復していた時です。鰻屋の長介は湯島天神の参道の緩やかな坂道で、間口2間の小さな店を構えて居ました。深川の鰻商から、脂の乗った大ぶりの上質の鰻を仕入、頭を落とさずにまるごと一匹料理をし、皮目はパリッと少し焦げ目をつけて焼き上げ、身はとても柔らかい。長介の鰻の特徴はもう一つ。秘伝の甘口のタレにありました。野田の濃口の醤油をベースにして、琉球渡来の黒糖、神田豊島屋の甘酒を少々、それに味醂の代わりに肥後の赤酒を用いるでありました。長介の師匠から教わった秘伝のタレで造った蒲焼は、湯島天神の名物となったのですが…(続)


土用の丑の日、鰻と冷や酒。

お奨めは緑川『緑』。

厳冬にできた酒を、魚沼の雪の洞窟の中で熟成させること半年。

雪洞貯蔵、たいへん粋ですね。

サラサラとした雪のようなソフトな風味です。

原料米: 美山錦 五百萬石
精米歩合: 55%
日本酒度: +3.5
酸  度: 1.5ml
アミノ酸度:
度数: 15.6%
酵  母: 緑川酵母
価格 1800ml 税込3360円
     720ml 税込1680円



  


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2011年07月18日

なでしこジャパン優勝 頂点に挑んだ女たち 

07月18日号: コラム・呑んどっと №26
- なでしこジャパーン 頂点に挑んだ女たち -




◆ うれしい~金

 ついに、ついに取った、金メダル。

第6回・女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会は、日本時間18日午前3時より、ドイツ・フランクフルトで決勝戦が行われました。日本代表「なでしこジャパン」が世界ランキング1位のアメリカを2―2、延長戦を含め120分の激闘を繰り広げました。勝負はPK戦へ。PK戦3―1で破り、初優勝しました。年齢制限のないフル代表で、世界一を争う大会。日本が優勝したのは、男女を通じ初めての快挙となりましたね。過去に女子サッカーは五輪に3度、W杯に6度目の出場で、初の頂点に輝いたことになります。

 正直「感動」しましたの一言です。3月11日の未曾有の大震災が起こり、日本じゅうが混沌としたムードが漂う中に、久々に清々しく、勇気と希望を与えてくれた「なでしこジャパーン」の選手たちに心から祝福したいと思います。本当におめでとう~。



◆ 金といえば、

 お酒の世界にも「金」メダルがあります。全国新酒鑑評会という日本酒の世界での選手権が毎年5月に開催されます。主催は国税庁釀造試験所(現在は独立行政法人酒類総合研究所 広島県東広島市)。全国的な吟醸酒のコンテストです。酒蔵ごとに仕込まれるその年一番の新酒を出品します。大きな酒蔵も小さい酒蔵も、生産規模の大小に関わらず、一蔵一出品です。秋に収穫した最良の米を、極限まで磨き、厳冬期に蔵人の英知と技術を結集して醸しだされる特別な日本酒。その酒は業界で「吟醸酒」という品質と言葉を生み出しました。
そのコンテストは、明治44年に第1回目が始まりました。途中数回、戦時大戦下で休止を余儀なくされた時期もありましたが、戦後まもなく再開され今年で99回目を迎える日本酒業界最大のイベントとなっています。

 優等賞は金賞といいます。酒蔵のために杜氏や蔵人は金を目指します。でも本当は杜氏や蔵人たち、自分自身のために、頂点を目指して酒を醸します。そこで培われた技術は、市販される日本酒へとフィードバックされ、酒蔵全体の酒質を向上させていくのです。

 頂点に挑むという姿勢は、スポーツの世界だけでなく、日本酒の世界にも存在するのです。来年はこのイベントが100回目を迎えます。たゆまなく進化し続ける日本酒を、これからも飲んで応援して欲しいと思います。
  


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2011年07月11日

コラム・呑んどっと №24 江戸へ酒樽を運んだ樽廻船その2 

07月11日号:コラム・呑んどっと №24
- 江戸へ酒樽を運んだ樽廻船 その2 -


■ 桧垣廻船

 元和(げんな)5(1619)年、泉州堺の商人が紀州富田浦の250石積みの廻船を借り受けて、大阪~江戸への日常物資を運送したのが始まりです。千石船の四分の一の小さな和船で物資運送がスタートしています。瀬戸内海にあった船がベースになっています。

 廻船という名前は貞応2年(1223年)に書かれた廻船式目(しきもく、箇条書きにした船法度、海事法規)に見られ、商船の意味に用いられました。やがて、大坂・伝法に廻船問屋が成立。1624年には、大阪北浜の和泉屋平右衛門を皮切りに次々と江戸積の廻船問屋が開業しました。将軍様のお膝元・江戸と天下の台所・大阪。人の往来は東海道五十三次が担い、物の往来は廻船が担いました。まさに、海の東海道だったのです。



■ 入り鉄砲に、出女(でおんな)

 一つ、疑問が起こります。人の輸送も廻船が担えばよいということになります。江戸幕府は物資の輸送に廻船問屋を利用することは認めても、人の往来は街道を利用させました。江戸とそれぞれの領地に隔年往来する参勤交代でも、東海道を敢えて利用させています。船による人の往来を極力避けていました。

 東海道には、大きな関が2つあります。江戸を出る大きな関所が、箱根の関でした。
『入り鉄砲に、出女(でおんな)』という言葉を聴いたことがありますか?。箱根の関で江戸に入ってくる武器・火器・槍・弓などの検査はたいへん厳しかったといいます。同じように江戸から離れる女性の検査もたいへんであったといいます。

 幕府に謀反を起こす武器を排除することが目的であったし、各藩の江戸屋敷でいわば人質となっている大名の奥方が、町人風情等に変装をして、江戸から逃げ出すことを防ぐのが目的であったといいます。

 箱根の関で、江戸から上方へ向かう方には、男性を吟味する部屋と、女性を吟味する部屋とがあったといいます。男性の吟味は意外と簡単にパスをしてくれたそうです。が、女性はたいへんだったそうです。吟味部屋はおよそ10畳。調度品など一切飾りけの無い部屋に、吟味役の人見女が二人 座していた。五十を過ぎた愛想のないのが人見女の特徴。にこりともせず、言わば、女版の閻魔大王といった感じであったといいます。

(続く)
  


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2011年07月10日

コラム・呑んどっと №23 江戸へ酒樽を運んだ樽廻船その1 

07月10日号:コラム・呑んどっと №23
- 江戸へ酒樽を運んだ樽廻船 その1 -


■ 江戸時代の貨物輸送

 必要な物資を運び、人々の暮らしを豊かにしてくれる、その礎として物資の輸送があります。現在は、高速道路を利用したトラック輸送、一度に大量の荷物を運ぶことができる大型貨物船での輸送、短時間で新鮮な生鮮食品を輸送してくれる航空貨物便、エコな貨物輸送手段として見直され始めた鉄道コンテナ輸送などなど、さまざまな貨物輸送が存在します。



 今から142年前までの江戸時代、江戸には100万を越す人が住み、江戸の人々が好んだ灘の生一本。現在では結婚式や選挙の当選祝いの時に鏡開き用で使われる大きな木樽で、なんと100万樽という大量の樽が、灘から江戸へ運ばれていたのです。その他にも、ありとあらゆる物資が海路で運ばれていました。

 現在、我々が住んでいる現代社会よりも、デジタルなものはなかったにしても、アナログでかなり高度な生活が営まれていたと思います。それを支えた廻船についてスポットを当ててみました。



■ 和船・千石船
 千石船=弁才船というのは、室町末期から瀬戸内海を中心に発達した日本製の大型木造商船です。値段も相対的に安く、帆走専用で効率も良かったため、瞬く間に全国的に普及しました。江戸時代前期以降、国内海運の主役として活躍しました。千石船という名称は米を千石(150トン、約18万リットル)積載できるところからきました。

■ 千石船が御法度の時代も

 江戸幕府が樹立した黎明期の寛永12年(1635)に、武家諸法度を改定しました。その中で、「五百石以上之船停止(ちょうじ)之事」とし、西国外様大名から500石以上の船を没収しました。千石船は、一度に大量の物資を輸送が可能であることから、これを軍事に利用して、大量の兵や武器を輸送し、幕府に謀反を起こすことを恐れての措置であったのでしょう。

 しかし、天下太平の見世となった時代、すでに商人の力が増して来ていました。3年後には「しかれども商売船は御許しなされ候」との新解釈を通達され、千石船が復活します。

「貨物船も海外まで渡航できないようにその大きさを制限されていました。」ということはありませんでした。そこで、時代とともに千石船は大型化し1860年頃には2000石積の船まで現れるようになります。いずれにしても、外国への渡航は禁止されていたので、千石船の航路はもっぱら沿岸航路が中心でした。国内沿岸の物資輸送に従事した荷船を廻船(かいせん)と呼びました。(続く)
  
タグ :樽廻船


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2011年07月09日

いにしえの音色  東儀秀樹コンサートに行きました。

◆ いにしえの音色 


↑東儀秀樹HPより

平成23年07月06日、熊本県立劇場コンサートホールで、東儀秀樹コンサートが開催されました。コンサートを企画したのは熊本友の会。私と妻と二人でコンサートに行きました。
 みなさん、ご存知と思いますが、東儀秀樹さんは、1959年東京生まれ。
今年なんと52歳。52歳とは思えないルックスでした。

以下プロフィールは、パンフレット引用します。

東儀家は、奈良時代から今日まで1400年間雅楽を世襲してきた楽家である。父の仕事の関係で幼少期を海外で過ごし、ロック、クラッシック、ジャズ等あらゆるジャンルの音楽を吸収しながら成長した。高校卒業後、宮内庁楽部に入る。楽部では篳篥(ひちりき)を主に、琵琶、鼓類、歌、舞、チェロを担当。宮中儀式や皇居において行われる雅楽演奏会などに出演するほか、海外での公演にも参加、日本の伝統文化の紹介と国際親善の役割の一翼を担ってきた。その一方で、ピアノやシンセサイザーとともに雅楽の持ち味を生かした独自の曲の創作にも情熱を傾ける。

ということです。
 コンサートと言いますが、半分は東儀秀樹さんのトークでした。分かりやすく雅楽についての説明がありました。
 雅楽で使う楽器、篳篥(ひちりき)や笙(しょう)、龍笛(りゅうてき)などがあります。今から1400年前の中国は唐の時代、大陸から日本に伝えられた楽器。遣唐使が大陸の文化を日本に伝えたと。楽器は今でも正倉院にあるという。1400年前の音符があり、その音色は、いにしえ人が味わったものを、時空を越えて、現代の我々も楽しめることができるのだという説明でした。また、中国には雅楽で使われる楽器は残っていないといいます。大陸から日本に様々なものが運ばれました。日本の中で、日本独自の物に昇華して、伝えてきた日本人の生き方に触れた気がしました。
 音にも季節や色がある話もされました。数日前(7月3日号)、方角と色と季節の話をしましたが、雅楽にもそれが当てはまるのだそうです。東は「ソ」の音、西は「ミ」の音、北は「シ」の音、南は「レ」の音が合うのだそうです。雅楽を紐解けば、陰陽道、陰陽五行、漢方、九星気学と共通点が多く、古来の東洋の思想に繋がっていることが分かりました。なんとも、いい音色で、途中ウトウトしてしまったコンサートでした。
  


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2011年07月08日

夏の菊姫 呑み切り原酒 山廃純米原酒 入荷しました。

おはようございます。
今朝の熊本(菊陽町)の天気は晴。
昨日は七夕でしたが、夜、雲が覆い、織姫星、彦星を見ることができませんでした。

余談になるのですが、これは陰暦(旧暦)でやらないとだめですね。
新暦だと、梅雨ですが、一カ月後であれば、夏真っ只中です。
織姫星はこと座ベガ、彦星はわし座アルタイルです。
2つの星は、宵のうちには東の空にありますが、旧暦7月7日となれば、2時間早く昇り始め、
宵のうちには天空に輝くのです。
しかも、旧暦の7日というのがミソ。
旧暦7日は、お月さまが半月。深夜には月は西に沈み、月のない闇夜となります。
闇夜だから、天の川が綺麗に見えるのです。
旧暦の七夕に、もう一度、観察してみたいと思います。


㈲たわらや酒店 宇野 功一
〒869-1101 熊本県菊池郡菊陽町津久礼2211番地1号
電話番号096-232-3138
ファックス 096-232-3368
メール  info@tawaraya-sake.co.jp
たわらや酒店 公式ブログ:http://tawaraya.otemo-yan.net/
営業時間 平日:09:00~19:00

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①:日刊たわらや かわら版
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07月08日号: 夏の菊姫 呑み切り原酒 山廃純米原酒 入荷しました。
- 石川県白山市  合資会社・菊姫 -




◆ 太閤秀吉も菊姫ファンだった。

 創業は天正年間(1573~91年)頃。石川県鶴来町にある菊姫は、霊峰「富士山」・「立山」と並ぶ日本三名山の一つである白山連峰の麓にある。古来から、芳醇な美酒と呼ばれてきた「加賀之菊酒」は、「太閤記」が伝えるところによると、太閤秀吉が醍醐の花見に、是非にといってわざわざ取り寄せたという譽高き天下の銘酒。



◆ 夏の菊姫 『呑み切り』山廃純米原酒(兵庫産特A 山田錦 100%)

冬に仕込んだ酒の熟成や仕上がりを見るために、全国のどこの酒蔵でも、夏のこの時期(6~8月)頃に貯蔵中の原酒をタンクから少量抜き出します。タンク毎に蛇の目といわれるきき酒の器に入れ、蔵元、杜氏、蔵人、鑑定官技師、酒造関係者が一堂につどい、お酒の熟成状況を確認する儀式を「呑み切り(のみきり)」と呼びます。春から夏にかかるこの呑切りの時期は、香りが変化し始め、新酒特有の香りである「麹はな」が消えはじめるため、熟成の度合いを見極める時期でもあり、どの酒から出荷するか検討をしたりもします。

菊姫では、この呑み切りの時期に合わせ、初呑切り時に調べた山廃純米のタンクの中で特に良い仕上がりを見せている原酒だけを厳選し、夏場に相応しく、切れ味のある若々しい山廃純米を呑切原酒として蔵出ししてます。


22BY・23年夏発売の「飲み切り原酒」について

◆◇◆◇ 味わいは… ◇◆◇◆

色…濾過ぜず光かがやく黄金色

香…微かに、ナッツ、くるみ、焼菓子を思わせる熟成香

味…このお酒の色は黄金色。

新酒時の山廃純米生原酒にあった、若さ、荒々しさが少し落ち着きを見せ始めながらも、喉越しはまだまだ絞りたて同様に暴れます。酒質としてはまだまだ未完成ですが、この微妙なアンバランスがこの時期のこの酒だけの面白さです。搾りたての新酒や熟成させた山廃純米には無い、この酒の違った一面をお楽しみ下さい。

原料米: 兵庫産山田錦
精米歩合: 60%
日本酒度: 非公開
酸  度: 非公開
アミノ酸度:非公開
度数: %
酵  母: 非公開
価  格: 1800ml 3675円(税込)





  


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2011年07月07日

鍋島 復活米『鍋島米』純米大吟醸

07月07日号:鍋島 復活米『鍋島米』純米大吟醸
- 佐賀県鹿島市  富久千代酒造 -




◆「鍋島」っていう品種の米で「鍋島」を醸す。

 2005年のある日、「鍋島」という品種が存在していたことを、蔵元の飯盛直喜氏に私が電話で語った。独立行政法人農業生物資源研究所(茨城県つくば市)にその種籾が存在するというではないか。早速、その種籾を少量取寄せることに成功した。

 「鍋島」という品種の歴史は古い。私の知る限りでは、1788年(天明8年)に富山県礪波郡で、鍋島早石太郎というものがいた。その鍋島早石太郎は、加賀藩農業の指南役として活躍。加賀藩農業談拾遺雑録(1816年)にこの鍋島が登場してくる。

 当時のよき米の価値基準は、食味がよいことは言うまでもなく、江戸時代は米本位制で、桝で計量して年貢を納めることであった。栽培する農家が求める「よい米」の条件に大粒であることがあったに違いない。なぜならば、小粒の米ならば、桝一杯にたくさんの米が入る。が、大粒であるならば、隙間が多く、農家に残る米が多くなるのだ。現在のように重量をベースでは、大粒だろうが、中粒だろうが、小粒だろうがあまり関係のない話であるだろうが。

 酒を醸すための酒米は大粒であり、粘りが少ない米がよい米とされる。江戸時代、よしとされた品種が酒米に向くというのはそれゆえなのである。
 さて、江戸時代の酒米「鍋島」を手に入れた飯盛直喜氏は、早速翌年の2006年から復活に向けて動きだした。

 私の方でも、農業方面の先生方や農業書籍を調べたりして、佐賀鍋島と富山県礪波郡の鍋島早石太郎との因果を調べたのだが、二つの接点はないようだ。あれば、それなりにストーリー性が増すのであるが。今となっては調べる余地もない。

 始めのうちは、米の審査において「等級外」という品質であったが、毎年、毎年、栽培方法を研究する中で、数年前から米の審査で、等級を頂けるまでに品質が向上したという。等級外の米は、どんなに素晴らしい品種の米でも、どんなに精米をしても特定名称酒(大吟醸、純米酒など)を表示できないのだ。すべてが普通酒となる。

 等級が頂けるようになり、特定名称表示ができ、今日に至っては精米歩合48%まで磨き、堂々の純米大吟醸酒として世に送り出しているのだ。

 220年前の酒米を、杜氏・飯盛直喜がアレンジした香味は、絶妙な酒となった。上手く表現できないが、今の酒米の酒と違い、一本筋が通った媚びないしっかりとした味わいの酒なのである。武士の如く、跪き、黙って一献飲む酒質。冷やでも、常温でも、お燗でも、温度を選ばない無骨な逸品がここに完成した。

原料米: 契約栽培 佐賀県産 鍋島米
精米歩合: 48%
日本酒度:
酸  度:
アミノ酸度:
度数: 16.5%
酵  母:
価  格: 1800ml 5250円(税込)




  


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2011年07月06日

還暦を迎える熊本酵母№13 野白金一の酒造雑話№3

07月06日号:還暦を迎える熊本酵母 シリーズ13
- 熊本酵母を発見した野白金一の酒造雑話 その3 -

■ 熊本酵母を発見した野白金一の酒造雑話

 昭和28年ごろ熊本酵母を発見した酒の神様・野白金一が、昭和36年に日本醸造協会誌に雑話を語っている。その雑話を紹介する。



3 或るスベリ糀について

 細菌の繁殖によるスベリ糀が出来る所があることなどは雑誌等で承知して居りますが、未だ当地方には其の現象がありません。と言ってスベリ糀は全然ないかと言われると左様ではなく、あるにはあるが最近の為ではなく、大抵漬け米の表面凍結がその主な原因であります。前項に熊本は暖かくて困ると申しましたが、熊本地方でも冬の極寒があり降霜の苛烈がありまして、洗い場が凍り庫内が零下三度位に下る事も往々あります。それに東北地方と異り庫の構造が粗末であり、米洗い場は吹きさらしになっている所が多いので、漬け込めの表面が氷に閉ざされる事も度々あります。此の様な時に引込んだ糀がよくスベリ糀になります。此のことは実は長い間判らなかったのであります。

 さて熊本より十余里の山手の庫に一週に必ず一度ずつ指導に行ったことがありますが、其の内の一軒の糀が時々スベリ糀になります。始終なら別ですが時々スベリ糀になります。始終なら別ですが時々でありま
すので不審でたまりません。段々やって行く内、霜の高かった時に引き込んだ糀に之が出る事をつきとめましたから、さてはこしきに入れる前に漬け米の表現が凍る為だと判断がつきました。早速洗い場を蓆(ムシロ)で囲い寒風の入らぬ様にした処がスベリ糀は出ぬ様になりました。それから洗い場を囲はせ、漬け桶は寒い時は蓆で包み蓋をして水が凍らぬ様にし、漬け桶からこしきに置く迄の処を暖める様にさせました。然し未だ不注意の庫がありまして、凍結のためスベリ糀を造る処が出る事があります。若い人は細菌のためと思うて騒がれるなどもあります。なおスベリ糀の出来る原因はもう一つ他にもありますが、それは稀に起るこので心配は不要と思います。

(続く)

  


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2011年07月05日

越乃寒梅 乙焼酎 古酒について

07月05日号:越乃寒梅 乙焼酎 古酒
- 幻の粕取焼酎 -




◆ 幻の粕取焼酎
 「越乃寒梅」と言えば清酒。ですが、越乃寒梅の大吟醸の酒粕を原料に、代々焼酎づくりが行われています。その話題をお知らせします。

◆ もろみ取り焼酎と粕取り焼酎
 焼酎を製造方法によって大別すると2つに分かれます。
① もろみ取り焼酎
② 粕取り焼酎 (類似米糠焼酎)
 もろみ取り焼酎は、日本酒と同じように、麹(米麹・麦麹)を作り、仕込タンクの中に水と麹を入れて一次発酵さます。約1週間ほど発酵させた後、さらに原料を入れて2次発酵させます。この時の原料が、米であれば米焼酎(球磨)、芋であれば芋焼酎(鹿児島、宮崎)、麦であれば麦焼酎(壱岐、大分)ということになります。2次発酵も約1週間で完成。アルコール分をたっぷり含んだもろみが出来ます。ここで、濾したものが清酒になるのですが、蒸留すると焼酎になります。

 一方、粕取りは、清酒を製造した時にできる酒粕を使います。酒粕にはアルコール分が含まれていますが、これに水を加え、再発酵させて蒸留したものが粕取り焼酎です。

 粕取り焼酎は独特の風味があり癖になる方もいます。
 酒粕の再利用ということと、清酒を安全に発酵させるために、伝統的に原料の一部に焼酎を入れて清酒を健全に発酵させることもあり、清酒を造る蔵では、昔から自社の酒粕を蒸留して、粕取り焼酎を熟成させていました。この焼酎のことを「柱焼酎」(はしらしょうちゅう)といいます。


◆ 越乃寒梅 乙焼酎・古酒
 越乃寒梅の大吟醸の酒粕に、蒸した米を混ぜ、再発行させたモロミを単式蒸留で蒸留した焼酎です。
 出来上がった焼酎を原酒の状態で10年以上、熟成をさせて出荷されます。
 出荷の時期につきましては、お盆前と年末の年に2回。製造される本数も極めて少ないです。
 吟醸酒と彷彿させる香りがあり、長期熟成による円やかな味わいです。

【余談】
メチル(目散る)・粕取と言えば、戦中・戦後の物資が無かった時代、粗悪な焼酎の代名詞でした。粕取焼酎に拒否反応をする年配の方もいます。
越乃寒梅・乙焼酎は、市販される粕取焼酎の中で、最も美味しい酒です。きっと粕取の悪いイメージを払拭してくれる焼酎です。



【越乃寒梅 乙焼酎・古酒】
幻の粕取焼酎

容 器: 透明フロスト瓶
原料米: 越乃寒梅大吟醸酒粕と国産米
麹米: なし
蒸留: 常圧
アルコール: 40.0%
熟成: 10年以上
飲み方
ロック★★★★★
水割 ★★★★★
湯割 ★★★
価格: 720ml 4200円



  


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2011年07月04日

亀の尾 すくすく日記 1 日本一遅い田植え

07月04日号:亀の尾 すくすく日記 №1
- 日本一遅い田植え -


◆ 日本一遅い、亀の尾の田植え

 平成23年07月03日(日)午前10時から、酒米『亀の尾』の田植えを行いました。この取り組みは、『泰斗』を販売する酒屋で組織します「くまもと酒文化の会」で行いました。『泰斗』は、平成7年に組織した団体です。今年で16年目を迎えます。熊本の酒蔵が、熊本産の酒米を使い、熊本酵母を使用して、伝統の熊本流の吟醸仕込みで仕込んだ酒を、熊本の人が「旨い」といってくれる晩酌の酒を、適正な価格で仕入れ、適正な価格で販売するという運動を行ってきました。当時はまだ「地産地消」という言葉が一般的ではありませんでしたが、この「地産地消」を熊本で初めて具現化した銘柄が「泰斗」です。会を組織した当時は、酒類販売の自由化に伴い、価格破壊、乱売が横行しました。消費者にとって安価に商品を買えることは、瞬間的にいいことですが、酒を造るメーカーが適正利益を確保できない、販売する酒屋も適正利益を確保できない清酒が横行しました。この廉売の負のスパイラルは、酒を造る農家にまで及びます。原料原価を安くしなければならないがために、原料米の安価な価格の米を求める…。終いには、国産でなくても、安価な米ならアメリカ産だろうが、オーストラリア産でも構わないということになり、減反、国産米価格下落へと拍車が掛かるということになりました。安価に買えるという単純なメリットは、これまでの流通を大きく変え、日本の農業を大きく変え、最後には日本の田舎の生活や風景を買え、動植物の生態系、水資源などにも大きく影響を与えてきました。

 昨年より、「泰斗」を販売する酒屋のオヤジたちが、九州で誰も栽培したことがない酒米「亀の尾」で酒を造りたい~ということで、この取り組みがスタート。九州新幹線開業の3月12日に、一升瓶で600本の「泰斗・亀の尾純米酒」が発売。瞬く間に完売をしました。

 2年目の今年は、栽培面積を倍にして、生産・販売量も2倍を造る予定です。

 亀の尾は、本来、山形県で発見された品種で、北日本で栽培される酒米です。普通の品種を同じように田植えをしたら、7月下旬には穂が実り収穫となります。9月下旬から10月上旬に収穫ができるように、なるべく遅く田植えをしようということで、昨日田植えをしました。「泰斗」のメンバー10余名の酒屋さんで、1時間半、田植えで汗を流しました。田植えをした面積は、4畝(せ)弱=120坪弱。田植え機で植えれば、数分で植えてしまう面積ですが、1本1本想いを込めて田植えをしました。「おいしい酒米に育ってね」

今年の「亀の尾」にも注目しててくださいね。


↑30㎝以上の高さのカメの尾の早苗。


↑田植えをした田んぼです。


↑田植えをした方で集合写真を撮りました。



原料米 熊本県菊池産無農薬栽培米『亀の尾』
精米歩合 65%
日本酒度 +2.0
酸  度 2.4ml
アミノ酸度 1.5ml
度数 17.5%
酵  母 熊本酵母
価  格 1800ml 2570円
既に完売です。来年春に発売をします。価格は変更の予定。  


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2011年07月03日

酒の話 №152 もうすぐ七夕 食も酒も五色の味わいを大切に

07月03日号: 知っているようで知らない酒の話 №152
- もうすぐ七夕 食も酒も五色の味わいを大切に -


◆五色の短冊

お馴染み文部省唱歌「七夕さま」の2番の歌詞

♪「五色の短冊、私が書いた、お星様キラキラ、空から見てる」

ところで、五色とは何色を表すか?ご存知でしょうか。

 これは、陰陽五行に由来します。五色とは、青(緑)→赤→白→黒→黄 の5色です。詳しくは、ここでは述べることを避けますが、これらの色は季節と方角を表すのです。

青→季節は春 →方角は東 →青春→方角の守り神 青龍

赤→季節は夏 →方角は南 →朱夏→方角の守り神 朱雀

白→季節は秋 →方角は西 →白秋→方角の守り神 白虎

黒→季節は冬 →方角は北 →玄冬→方角の守り神 玄武(亀)

黄→季節はなく、中央、おのれ(己)を表現します。

 五色の短冊に願い事を書くというのは、春夏秋冬、東西南北に難がないように願ってのことなのです。

 余談ですが、横浜の中華街の東西南北の門には、青龍、朱雀、白虎、玄武が祀られています。また、奈良の大仏様の東西南北には、持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門さま)が祀られています。これらの神を四天王というのです。相撲の土俵の房(ふさ)も季節と方角を意味しています。


◆ 五色の食べ物・飲み物

 何気なく食べる普段の食事。実は、色どりを良くすることは、健康によい食事を摂ることにつながるのです。見た目の色で簡単の五色に分けることができます。

青→緑黄色の野菜類 →さわやかな香りの高い吟醸酒。

赤→お肉類(牛肉、鶏肉、魚肉)→しっかりした味わいの純米酒。

白→ごはん、麺類、パン(米・麦)→落ち着いた味わいの酒。

黒→わかめ、海苔、椎茸、黒ごま→冬ごもり、お燗にして旨い酒。

黄→卵、納豆、ゆば、レモン、みかん→熟成をした古酒。

お弁当に色どりもこの五色に気を付けることによって、栄養バランスが取れるのです。

それぞれの素材で、マッチする酒も少しずつ違いがあります。順番に飲むとすれば、東南西北の順、つまり春夏秋冬の順で、香りの高い酒→しっかりした味わいの純米酒→落ち着いた味わいの酒→お燗にして旨い酒→食後には熟成した古酒 という順で飲むと実に美味しいです。

これはワインにも当てはまると思います。

 我々、日本人は古来より、色や季節を大切にしてきました。普段の何気ない生活の中に、日本人らしさの表現があります。さて、今から食べるお料理の色のバランスを見て、今日飲もうとする「日本酒」や「ワイン」を選ぶのも楽しいかもしれませんね。
  


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2011年07月02日

日本酒を楽しもう先ずは一献№243  東一 山田錦49%純吟

おはようございます。
今朝の熊本(菊陽町)の天気は曇。
7時の気温は25℃。

すっきりしない天気です。
昨日は10日ぶりに気温が30℃を越えず、
比較的涼しく感じました。

今日は、雑節の一つ「半夏生」(はんげしょ)。
夏至から数えて11日目が半夏生です。
梅雨の中で、最も大雨が降りやすい時期とされていますので
雨の注意をしなければなりません。
田植えをした稲が、土壌に根を下ろすように願って、
昔の農家は、蛸(タコ)を食べるという風習があります。
タコの足のように、稲の根が根付くように~ということでしょうね。

07月02日号:日本酒を楽しもう 先ずは一献 №243
- 東一 山田錦 精米歩合49% 純米吟醸 -

佐賀県嬉野市塩田町五町田甲2081 五丁田酒造㈱



◆ 東一のあゆみ

 大正11年創業。初代瀬頭平次が瀬頭酒造・「東長」から分家して酒造りを始めたことが起こりです。清流塩田川は古くから肥沃な田畑を潤し、この地に豊かな実りをもたらしてきました。その地元産の酒造好適米と、塩田川の伏流水をもちいて仕込んでいます。

 蔵人みずから育てた酒米での酒造りを実践するお蔵。

「うちは杜氏も蔵人も地元の人間。どんな米がうまい酒になるか蔵人がいちばんよく知っています。それに、自分が苦労して育てた米で仕込むから、酒造りへの意気込みもぜんぜん違いますね。」と瀬頭一平社長。

 酒造りの造詣の深さで全国の若い蔵元からしたわれる勝木慶一郎製造部長と北重則杜氏の醸す味は、全国のこだわりの日本酒ファンより熱烈な支持を受けています。

◆ 米から育てる酒造り。高品質な「山田錦」へのこだわり

「人、米、造りが一体となって良酒を醸す」五町田酒造の理想であり信念だ。昭和63年(1988年)、五町田酒造は当時佐賀県では手に入らなかった憧れの酒米「山田錦」の栽培を蔵自ら挑戦。台風が多く、高温多湿の佐賀平野は、決して山田錦の栽培に適した地ではありません。
山田錦は普通の米よりも背丈が高く、倒伏しやすいのです。

 しかし、蔵人を中心にした栽培者グループは、育苗法の不空や、水まわりの研究、施肥の研究管理など、試行錯誤を重ねてきた。

地元の塩田の米で「良い酒を造りたい」という情熱は悪条件さえも克服し、吟醸を仕込むほどの収穫量、品質の安定をなし得たのです。

 すでに山田錦は入手困難な酒米ではなく、山田錦であればよいという時代ではありませんでした。蔵人自らが育てた米で、特性を熟知してこその技術を以って酒を醸している。地産で全国的に品質志向の酒づくりを問いかけた、「東一」は九州を代表する九州の味覚の銘酒です。





◆ 東一 山田錦49%精白純米吟醸

~妥協を許さない究極の純米吟醸~

地元で契約栽培された『山田錦』を47~49%まで磨き上げた吟醸酒です。華やかな吟醸香、含み香共にすばらしく、バランスのとれたお酒です。しっかりとした南国の果実を思わせる『山田錦』の旨みを表現した仕上がりです。造りのレベルの高さを感じる1本。あこがれる日本酒です。

原料米: 佐賀県塩田産
山田錦
精米歩合: 49%
日本酒度: ±0.0
酸  度: 1.6
アミノ酸度: 1.7
度数: 16~17%
酵  母:熊本酵母
価  格:1800ml 3507円(税込)

【お問い合わせ】
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