2011年08月24日

国鉄全線完全乗車雑話№2 三陸鉄道復興へ次の一手

08月24日号:国鉄全線完全乗車雑話 №2
- 三陸鉄道復興への次の一手 ① -

【序文】
3月11日の震災で大きな被災をした三陸地方。
道路も鉄道も大きな被害を受けました。
三陸海岸は複雑な海岸線で、景色は風光明媚。
山あり海あり、海の幸、山の幸の豊かなところを鉄道が結んでいます。
食の豊かなところに地酒あり。
三陸海岸は地酒の宝庫でもあります。
南から北までの約350㎞。
1本の鉄道を貫くことは20世紀、東北の人々の悲願でありました。
復興しなければならない鉄道ですが、20世紀型の在来線ではなく、
21世紀型の高速鉄道に変身する必要があると思います。

■ 三陸鉄道とは

国鉄全線完全乗車雑話№2 三陸鉄道復興へ次の一手
↑三陸鉄道HPより路線図

 3月11日の未曾有の大震災。三陸海岸の都市と街を繋いでいた三陸鉄道も大きな被害がありました。その被害の模様は、新聞やテレビで報じられていました。九州の人にとっては馴染みのない三陸鉄道ですが、多くの方がその鉄道の存在を知ったのではないかと思います。

 三陸海岸は地図で見ると海岸線が複雑に入り組んだギザギザの形となっています。陸地が沈降した結果、海岸線がギザギザとなるリアス式海岸が作り出されています。Vの時の奥には漁港が作られ街があります。リアス式海岸は、起伏に富む複雑な地形ですので、平坦な地域にくらべ、陸上交通網の整備が遅れる傾向にあります。そんな三陸海岸を一つの鉄道で結ぼうという構想は、盛岡県盛岡出身の戦前の政治家・原敬らが提唱いたしました。原敬は我田引水ではなく我田引鉄で、地元地域への利益誘導、日本の政党政治スタイルを追求した政治家です。現在の政治家のスタイルの先駆けではなかったかと思います。彼が明治時代に提唱した三陸海岸を一本の鉄路で結ぶ構想は60年の歳月をかけてようやく完成するのでした。

 その経路は複雑です。現在ではJR東日本線区と三セクの南・北三陸鉄道線区に分断されています。
 東北本線小牛田から石巻線・前谷地駅から気仙沼線が分岐します。気仙沼線の全長約72㎞・終着駅は気仙沼駅。気仙沼から大船渡を経由して盛駅まで大船渡線の全長43㎞。

 盛駅から吉浜駅までの21.6㎞、昭和48年に完成。本来はあと15㎞延伸して釜石まで結ぶ予定でありましたが、当時の国鉄は延伸工事を断念。盛線は昭和59年3月31日に廃止。翌日4月1日に三陸鉄道南リアス線として盛~釜石が開業となりました。

 釜石からJR山田線で北上すること55㎞行くと宮古駅となります。ここから三陸鉄道北リアス線が分岐します。北リアス線は全長71㎞。久慈駅で八戸線に繋がります。八戸線で65㎞行くとようやく終着の東北本線八戸駅に繋がります。

 ですから、石巻線・気仙沼線・大船渡線・南リアス線・山田線・北リアス線・八戸線と7つの線区をまたぐ形となりますが、これを三陸海岸縦断鉄道といいます。なんと全長は342㎞となります。

 複雑な海岸線を走る車窓は、トンネルあり、鉄橋あり、海の幸が有名な港町あり、釜石を中心とした工業の都市あり、風光明媚な路線です。もちろん、食文化の豊かなところに銘酒あり。三陸にはさまざまな酒蔵が存在します。(続)

国鉄全線完全乗車雑話№2 三陸鉄道復興へ次の一手
岩手県釜石市の銘酒「浜千鳥」


Posted by たわらや at 11:04│Comments(0)
 
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