2011年05月26日

「赤鹿毛」・「青鹿毛」 柳田酒造(宮崎県都城市) 

酒蔵探訪 「赤鹿毛」(あかかげ)・「青鹿毛」(あおかげ) 
-都城市 柳田酒造- シリーズ№1


◆ 西駅が栄える

 余談から話を始めます。鹿児島も都城も「西駅」が栄えています。鹿児島駅より西鹿児島駅が栄えていますし、都城駅より西都城駅が栄えています。残念ながら、西鹿児島駅は、九州新幹線開業とともに、鹿児島中央駅に駅名を変更してしまいました。鹿児島も都城も「西駅」という言い方は今も健在です。

 5月17日(火)西都城駅に近いところにある柳田酒造を訪問させて頂きました。その時のお話をお伝えしたいと思います。

◆ 街中にたたずむ柳田酒造

 西都城駅から離れていない早鈴町に柳田酒造はあります。コンクリートやブロック塀の多い昨今、石を重ねた石塀が目につきます。庭木にマキの木が多い。そんな閑静な住宅地の一角に柳田酒造はありました。

 創業は明治35(1902)年。柳田正氏と初めてお会い致しました。

 柳田正氏は昭和48年生まれ。実は私の大学の後輩でありました。しかも同じ学部であり、大学のある小金井周辺のローカルな話題で盛り上がりました。柳田正氏は情報処理系の電気情報工学科を卒業して、醸造の道へ。そんな柳田正氏は、焼酎の話になると、目を輝かせ、静かなシャベリ口調ながら、熱く語ってくれました。


◆ 都城が島津発祥の地

 鎌倉時代に源頼朝が1192年、鎌倉幕府を興し武家政治が始まります。島津家の興りは、源頼朝の側室であった「丹後局」の子・惟宗忠久(これむねただひさ)を、島津の庄(現在の都城)へ派遣させました。庄の名を名字として、島津忠久が島津家初代となりました。そして、柳田酒造のあるこの都城市早鈴町が、まさに島津初代忠久が暮らしたところであるようです。

 ご存知の通り、その後、武家政治が終わる明治維新まで、島津家は、薩摩、大隅、日向の一部に君臨します。こんな歴史的な話題から、柳田酒造を語ってくれたのです。



◆ 麦焼酎一筋

 柳田酒造のある都城は20°の芋焼酎の消費地であります。都城で酒というと9割は20°の芋焼酎と答えるでしょう。そんな市場で、麦焼酎だけを醸す柳田酒造は、ある意味異色。

 30年ほど前、柳田正氏の父の代に麦焼酎しか造らない英断に踏み切ったといいます。それまで「千本櫻」という芋焼酎を醸していたのですが、「霧島」という大手メーカーが君臨をし始め、芋焼酎を醸すことを止めて、敢えて麦焼酎の道を選んだといいます。市場は地元から全国へ。市場ができるまで多くの苦労があったようです。現在も大半が県外出荷がメインだといいます。(続く)

【柳田酒造訪問】

「赤鹿毛」・「青鹿毛」 柳田酒造(宮崎県都城市) 
西都城駅前の税所酒店さんの店内で。
左から、横浜・君島酒店社長、税所社長、税所さんの奥様、広島・亀齢酒造・上田浩さん。このメンバーで柳田酒造を訪問させて頂きました。


「赤鹿毛」・「青鹿毛」 柳田酒造(宮崎県都城市) 

閑静な住宅地・都城市早鈴町にある柳田酒造。

「赤鹿毛」・「青鹿毛」 柳田酒造(宮崎県都城市) 

焼酎について熱く語る柳田正氏と君島氏。





Posted by たわらや at 09:11│Comments(0)
 
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