2011年02月28日

仰清正公 №18 しんがり

-仰清正公- №18 しんがり 
清正公生誕450年没後400年・九州新幹線全線開業記念企画


■第18話「しんがり」

 あとになって この長久手の戦は羽柴軍の敗戦とされるが、かろうじてそれを避けた堀秀政の軍はよく戦った。そこへ加藤虎之助の軍が救援に駆けつける。

 だが長久手城、岩崎城を落とした池田軍はそこへとどまりすぎ、徳川軍の逆襲に敗れる。

 羽柴軍の動きに対して徳川軍はすばやく勢力を移動し、その感激を埋めるために加藤らは駆けずり回らねばならなかった。大勢力で動きの鈍い羽柴勢に対して、野戦上手な徳川軍は隙を突こうとする。

 図体の大きい羽柴の主力が本営に引き上げるのに、秀吉が加藤虎之助と堀尾茂助(堀尾吉晴)に命じたのは「しんがり・殿」役であった。しんがりとは、軍列の最後尾をいう。主力を守りながら追撃してくる敵を迎え撃つ。この迎撃に力を入れすぎれば本体に遅れ、その間隙を敵の遊軍に狙われ、本体そのものに損害が及ぶ。つまり、しんがり軍は、本体との距離を詰めず開けず、敵と戦いながら後退、実は本体と同じ速度で前進しなければならないのである。

 このような野戦、それもてったい劇でのしんがり軍は非常に難しいものだったが、加藤・堀尾の軍は、タイマツを赤々と点し、鉄砲隊、弓隊、槍隊の三重の装備で、浅く攻めては堅く守るという戦術で、しんがり軍の役目を果たした。

 このしんがり軍のことを、当時の言葉なのか方言なのか「しっぱらり」というらしいですよ。(JS)





Posted by たわらや at 22:37│Comments(0)
 
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