2011年02月14日

仰清正公 №4 清正公という地名

-仰清正公- №4 清正公という地名 
清正公生誕450年没後400年・九州新幹線全線開業記念企画


■第4話「清正公という地名」

 加藤清正はいまから450年も前の人、つまり歴史上の人物です。城郭建設にたけ、武勇の誉れ高かったこともあり、江戸時代以来、人々の人気を得たようですね。

 有名なのは彼の築いた熊本城です。その美しさと合理性、四季折々の草木の配置もよく、歴史遺産としてだけでなく、いまや熊本市民、県民の誇りにもなっています。それだけでなく、すぐ脇には加藤神社が祭られているのです。清正の居城跡ということもありますが、ここだけでなく、全国各地に加藤清正は祭られているのです。

 実は東京都内にもあるのですが、ご存知でしょうか。都電が都民の足だったころは、桜田門通りから目黒への途中に「清正公(ここではせいしょうこうと読む)前」という停留所がありましたので、多くの人はそこに加藤清正が祭られていることをご存知でした。この都電路線はバス路線に受け継がれ、いまも「清正公前」というバス停があるのです。

 よくよく見ると、ここは神社ではなく寺院なのです。日蓮宗、最正山覚林寺(さいしょうざんかくりんじ)です。お寺めぐりでは、山の手七福神の毘沙門天が祭られています。

 そして清正公堂があり、加藤清正の位牌や像が祭られています。5月4~5日は清正公大祭として賑わうのです。清正公前は地名になっているほどなのですが、正式の住所は東京都港区白金台1-1-47で、最寄り駅は、地下鉄南北線、都営三田線「白金高輪駅または白金台駅の中間。徒歩5分です。

 なんでこの地に清正由来の祠があるかというと、この辺が徳川幕府初期に熊本藩の中屋敷になっていたらしいのですね。文禄、慶長の役に清正によって連れてこられた。李朝の血統の人のために寛永8年に、最正山覚林寺が建立されたのです。

 場所が熊本藩の中屋敷でもあり、朝鮮半島から招いた身分の高い人のための住まいを建てたことから、加藤清正の名が残ったのでしょう。(JS)





Posted by たわらや at 20:22│Comments(1)
この記事へのコメント
昨日はお疲れ様です。
いつもブログを読んで勉強させて頂いています。
またちょくちょくのぞかせて頂きます。
渡辺義文
Posted by 菊商青年部菊商青年部 at 2011年02月14日 20:55
 
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