千石蔵の登場
-知っているようで知らない酒の話-第125号
千石蔵の登場
■ 清酒の大量生産体制
『知っているようで知らない酒の話』№120、№121で、水車精米の話をしました。その時の概要は、江戸時代、灘は酒どころとして頭角を現します。それまでの墨をつくるための石臼を、精米に利用して、足踏み精米から水車精米に移行した話をしました。水車精米することにより、より精白歩合が高まり、ぐんと酒質が向上していきます。益々、人気が高くなってゆき、需要が増大して行きました。
■ 十水(とみず)の登場
江戸中期、現在の酒づくりとほぼ変わらない仕込みが行われるようになりました。というより、その仕込みを行えば、効率よく高品質の酒が生産できるので、現在までその方法を基本として、酒づくりが行われていると言った方が正しいでしょう。
それが、「十水」(とみず)です。十水とは、蒸米10石に対して、水を1石、水の量を増やし、酒を仕込むことです。現在もほぼこの仕込みを踏襲しています。
10石という量は、1石が約150㎏ですので、10石は約1500㎏です。10石の白米を、甑で蒸し、酒を造ります。すると、10石の清酒が出来上がります。1石が180ℓ=一升瓶で100本ですので10石ならば1800ℓ=一升瓶で1000本。
1回の仕込みで10石=1000本の酒ができることになります。
■ 日仕舞いで100日
江戸時代中期・文化文政年間、酒造りにおいて、杜氏制度が確立して行きました。杜氏とは酒づくりに従事する職人集団のことをいいます。杜氏や蔵人は、春に苗を育て、田植えをして、秋に米を収穫する農家です。冬場に、酒蔵に出稼ぎに行き、ひと冬、約3カ月(約100日)酒づくりを行います。そして、春には故郷に戻り、再び苗を育てるという一年のリズムで生活を営んでいます。
冬場の季節雇用で、灘の酒蔵は、酒造りをするようになりました。10石仕舞の酒づくりを、100日間、毎日行うとします。
10石×100日=1000石
すると、ひと冬で、お酒が1000石出来上がります。「千石蔵」という言葉が生まれます。千石は1つの酒蔵の年間の酒の生産量ということになります。
このような体制がすでにこの時代に出来上がっていたのにびっくりします。そして、銘酒の誉れが高くなり、1000石で酒が足りなければ、もう一つ蔵を造り、また1000石を生産するのです。現在のように、一つの仕込みを大きくするのではなく、蔵を増やす形で、増石して行きます。一つの仕込みの量を増やすには、桶から琺瑯タンクの登場を待たなければなりません。